1. クラブハウスの談話室で、アイシャは紅茶の匂いを嗅いでいた。
    キリエは、アイシャの報告を聞きながら、目を白黒させている。
    どうやら己を落ち着かせようとしているらしい。
    そのそぶりが、どれだけ本心に近いのかは不明であったが……

    「アイシャ、この紅茶だけど、なんとジュデイトだよ。高級品さ」

    「ジュデイトのナンバー13だよ。――珍しいな。嗅いだのは二度目だね」

    「アイシャ……君は紅茶が好きなんだね」

    「鼻が利くだけさ、キリエ」

    「ところで、スコーン食べないの?」

    「食事は苦手なんだ」

    キリエは、あの菓子以外を口にするのを見たことがなかった。
    ――何も口にしないというのは、おそらく彼女の深い部分に関わる一面らしい。

    「あの、それで……ファイルは?」

    「これだ」

    机の上に置かれたのは、まごうことなき機密ファイルである。
    黒い獣が消し去ったのは、アイシャが事前に用意しておいたダミーであった。

    「ところで、このファイルは本物?」

    「本物だった」

    「中を見たのかい? 関心しないなぁ」

    「内容の確認は必要だろう? このファイルはとある作戦に関する極秘資料さ……」

    「どんな作戦?」

    「暗殺だよ。――皇帝の敵を抹殺する、暗殺作戦だ。これによれば、過去100年の間に、おびただしい数の人間が陸軍の特殊部隊によって暗殺されている」

    「そりゃ怖いね……」

    「ケンプトンの取引相手は、おそらく連邦の諜報機関、サロンだ」

    帝国に匹敵する大国、連邦。ルーツを同じくする複数の国が、表向きは一つの主権のもとにまとまった国家。しかし連邦各国は独自の主権を主張しているため、その実体は国家連合と言える。
    白の王国の直系と主張する連邦は、帝国の宿敵であった。

    「つい最近も、鋼の国の大公ビゴー・マグナスが標的になったらしい」

    「ロンダミア大公殿か……英雄戦争で戦死したって聞いたけど、まさか帝国が動いていたとはね……」

    ーーキリエの言葉には、白々しさがあった。
    何をいっても頼りなく、熱量が低い。それが人の知るキリエの表の姿であった。

    「ところで、元老院はどうしてこのファイルを欲しがったんだろうね?」

    アイシャはにやりと笑った。

    「――もしかして、暗殺計画の標的には、元老院貴族も――?」

    「そんな記述は無かったが、妄想は膨らむだろうね……」

    「嬉しそうだね、アイシャ……」

    「そうかな?」

    アイシャは確信していた。
    謎の暗殺部隊なるものは恐らく存在しない。
    つまりファイルはダミーである。
    ――だが、暗殺者は存在する。

    そしておそらく――あの時自分は、見逃されたのであろう。
    もちろんアイシャを侮ったわけではない。
    このファイルが元老院の手元にあることは、あの暗殺者には都合がいいのである。
    元老院は存在しない暗殺部隊に怯え、真実は闇の中――

    とはいえ事の真偽を確認するのはアイシャの役割ではない。
    元老院が勝手に悩めばいいことだ。

    「……第十三軍団<葬送>か……」

    「じゅうさん……ぐんだん……?」

    「たわいのない伝説さ」

    皇帝に逆らうものには、棺が送られる。
    埋葬人と共に――
    帝国の敵は、まともに死ぬ事などできはしないのだ。

    アイシャはジェリービーンズの瓶を取り出した。
    豪奢なクラブハウスにそぐわぬ代物である。アイシャは瓶から甘いひと粒を取り出す。
    エメラルド色に輝くジェリービーンズを手に、アイシャはつぶやいた。

    「メロン味。死の暗示か――」

    アイシャは、ジェリービーンズを指で弾いた。

帝国戦旗・サイドストーリー