
生年月日 | 1992年11月24日 |
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出身地 | 岐阜県各務原市 |
コロプラ入社 | 2025年4月 |
所属団体 | NPO法人日本視覚障害者柔道連盟 |
藤原由衣が「網膜色素変性症」の診断を受けたのは20歳のときだった。それまで目が悪いという自覚はあったが、先天的な視覚障害とは思っていなかった。視力が徐々に低下する中、眼科での精密検査を経て、その事実を知ることとなった。
その後の2017年、社会人として働いていた藤原は2020年に東京パラリンピックが開催されることを知り、パラ柔道という競技に興味を持つ。
小学3年生から柔道を始め、中学・高校と続けてきた藤原だが、高校3年生で部活を引退したとき、自分では「やり切った」と思っていた。
視覚障害があっても、柔道ができる。「もっと自分を高めたい」と思っていた25歳の藤原は、再び畳の上に立つことを決意する。
7年ものブランクと、組んだ状態から開始されるというパラ柔道の競技性の違い。超えるべき壁は大きく、本格的に競技へと復帰するまでには一年ほどかかった。最初は身体づくりから始め、競技者としての体力と勘を取り戻してゆく。
やがて努力は実り、2019年にはアメリカでの国際大会で初の3位入賞。さらに2021年のアゼルバイジャン大会でも3位に入賞し、国際ランキングを上げて東京パラリンピック代表の座を手に入れた。
そこで新型コロナウィルスの世界的流行により、東京パラリンピックの開催延期が発表される。コロナ禍での厳しいトレーニング環境にも、思うように柔道ができない状況にも、本当に開催されるのかという不安にも、藤原は決して挫けず前向きに努力を重ねた。
そこで自分と闘い、鍛え続けたことが選手としてのターニングポイントだったと語る。
2021年、藤原は当初の目標である東京パラリンピック出場を果たした。夢だった日本武道館での試合。メダルは獲得できなかったが、3位決定戦まで進めたことは大きな自信になっている。
惜しくもパリ大会は逃したものの、次なる目標である2028年のロサンゼルスパラリンピックに向けて、日々努力を続けている。
