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異色の経歴を持つ、ブラジル生まれのUIデザイナー

  1. デザイナー

    A.C

    大学卒業後、一般企業の経理職に就くものの、自分の仕事に違和感を感じて退職。専門学校で一からデザインを勉強し始め、晴れてデザイン事務所に入社。旅行関連の広告制作に従事する。コロプラへ転職後は、UIデザイナーとして様々な作品に携わるほか、オフィス空間やノベルティグッズなどのデザインも手がける。

経理の仕事を辞め、一念発起してデザイナーへ。持ち前の色彩感覚や情熱的で煌びやかなデザインを武器に、コロプラの楽しい世界観を演出してきたアッキーさん。「ゲームグラフィックの面白さはビームを描けること」と語る、彼のユニークな歩みを探ります。

文化系男子として肩身の狭かった少年時代

はじめに、現在の業務内容を教えてください。

コロプラに転職して4年目なのですが、主にUIデザイナーとして様々なタイトルに携わってきました。『秘宝探偵キャリー』『バトルガールハイスクール』、最近だと『白猫テニス』でも画面のデザインをしています。

実はこのオフィスの空間デザインもアッキーさんが手がけたとか。

そうなんです。入社して半年くらい経ったころでしょうか、なぜか「オフィス移転プロジェクト」というもののメンバーに任命されまして(笑)、その後2回の移転でもデザインを担当しました。ちなみにコロプラには、来社されたお客様にお出しするミネラルウォーターがあるのですが、そのペットボトルもオフィス移転を記念してデザインしました。色違いで5パターンあります。

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このミネラルウォーターのラベルもアッキーさんのデザインだったんですね。デザイナーには、小さいころからなりたかったんですか?

憧れはありましたが、目指したのは大人になってからです。とくに僕は地方に住んでいたので、デザイナーなんて自分とは別次元の仕事だと思っていましたね。と言っても子供の頃はブラジルに住んでいたのですが。

ブラジル!?

生まれてから中学生の頃までサンパウロで暮らしていたんです。最近、ようやく日本語歴のほうが長くなってきたくらいで、向こうではずっとポルトガル語で過ごしていました。こちらに来たときは日本語の読み書きもできなかったので、しんどかったです(笑)。

ユニークな経歴ですね。あちらでは絵を描いていたんでしょうか?

よくある話ですが、子どものころから手先は器用で、授業で描いた絵で賞をもらったり、飛び出す絵本を作ったりしていました。両親曰く、ハサミとセロハンテープが遊び道具だったらしいです。だから、日本で『つくってあそぼ』という工作のテレビ番組を見たときは衝撃でした。身近にある素材が、ワクワクさんの手にかかると全く新しいものになるんです。丁寧なデザインは見ていて飽きませんでしたし、自分が作ったもので実際に遊ぶことができるギミックには毎回感心して、あれを参考にいろんなものを作りまくりましたね。そう考えると、幼少期というか、10代でも工作をしていました(笑)。

やはり美術大学などに行かれたのですか?

いや、絵やものづくりが好きなことは隠していたんです。というのも高校生くらいまでは文化系男子は肩身が狭いというか......絵で賞をもらって表彰されるときも、僕以外は女の子ばかりだったので、ちょっと堂々とはできませんでした。そんな感じでしたので、普通に就職するほうがいいと思い、大学では経営学を学んだんです。

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自分の仕事に違和感を感じて、デザインを学び始める

創作意欲を、自分で押さえ込んでしまっていたんですね。では就職はどうしたんですか。

卒業後はそのまま、一般企業の経理職に就きました。ただ、もともとやりたかった仕事というわけではないので、その年の6月には「ちょっと違うかも」と考えるようになりました。自分が作った帳簿にまったく愛着が持てなかったんです。伝票や決算書が完成したら、たとえば作品を作り終えたときのような達成感があるはずだと思っていたんですが......自分にはなかったと言いますか。

もともと得意なものと違う分野の仕事ですから、ちょっとフィールドが違いましたよね。

はい。結局、その会社は2年で辞めました。それで「自分にできることは何かな」と改めて考えて、一念発起してデザインを学び始めたんです。この退職は人生で一番の決断だったと思います。

デザインはどのように勉強したんですか?

名前を知っていたデザインの専門学校に入り、2年間グラフィックデザインからエディトリアルデザイン、油絵まで幅広く学びました。専門学校では生徒の中でも年上だったので、「負けられない」と思いましたね。

やってみて、デザインは向いていましたか?

そうなんだと思います。周りの評価も目に見えて変わりました。デザインはやればやるほど愛着が湧きましたし、楽しかったですね。専門学校の卒業後はデザイン事務所に就職して紙媒体の旅行雑誌やパンフレット、広告などを作っていました。

具体的にはどんな業務をしていたのでしょうか。

エディトリアル寄りの仕事が多かったですね。たとえば旅行に関する膨大な情報を整理してデザインするとか。そこで学んだ「見やすいデザイン」に、コロプラで学んだ「ワクワクするデザイン」を足しているので、雑誌の文字組みの感覚がゲームUIに活きていると思っています。

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その会社からコロプラに移られたのはなぜですか?

3年ほど勤めて「このままここにいるんだろうな」と思うようになりました。紙媒体の仕事が少しずつ減っていたので、ちょっと行き詰まっていたんですね。そこで転職活動を始めてみたところ、コロプラに出会いました。

コロプラに入って、人を楽しませる面白さに気付く

ゲームは昔から好きだったんでしょうか?

ごく普通の、人並みなゲームファンでした。ゲーム業界も就職先として意識していたわけではなくて、そもそもコロプラがゲーム会社だとは知りませんでした。「コロプラ」という社名は「コロコロプラスチック」というプラスチック製品の会社だと思っていたくらいですから(笑)。

ははは!ではゲーム業界に興味を持ち始めたのはいつ頃なんでしょうか。

とにかく「デザイン関係ならどこでも」という気持ちで転職活動をしていたのですが、活動を続けるうちにゲーム業界の華やかなグラフィックに惹かれるようになりました。ただ「デザイン」と言っても、パンフレットの制作とゲームのようなエンタメ業界は違う世界というイメージがありました。「僕は資料のようなもののデザインはできるけど、人を楽しませるようなものを作ることはできるのかな」と思っていたんです。実際、入社直後はゲームグラフィックの難しさを思い知ることになったわけですが(笑)、『秘宝探偵キャリー』のデザインに関わったとき、「あ、これだ」と思ったんです。

どんなところが楽しかったんですか?

ゲームはビームが出せるんですよ。

どういうことですか!?

旅行のパンフレットにビームは描けないですよね。でも、ゲームではそれができます。色や動きというデザインによって人をワクワクさせることができるのが楽しかったんです。

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ちなみに、ブラジル育ちということがデザインに影響している部分もあるのでしょうか?

自分では意識していないのですが、コロプラに入ってから「日本で育った人と色彩感覚が違う」とはよく言われます。たしかに極彩色に近い色を多く使っていますね。ほかの人のアイデアを見たときに「色使いがおとなしいな。もっとゴージャスにしたい」とか「なんでここを光らせないの?」とか「ここは燃やそうよ!」などと思うことがあります(笑)。

デザイナーとしてのこだわり、いろいろ

話が少し戻りますが、オフィスデザインのこだわりはどんなところにありますか?

建物の構造上、天井があまり高くないのですが、無理矢理デコボコさせて立体感をつけた部分です。これが一種の仕切りの役割を果たします。コロプラでは極力壁を作らず、開放的な空間にするという文化があるんですけど、ときには閉じた空間に籠りたいこともありますよね。全体としては開放的でも、視界が妨げられる場所がいくつもあるようにしました。

そう言われてみると、たしかに籠れる空間があちこちにありますよね。

それから、いろいろな素材で「COLOPL(コロプラ)」のロゴをたくさん置いたのもポイントです。遊びに来られた方にコロプラのオフィスをしっかり覚えていただきたいという思いから作ったのですが、今では撮影スポットになっています。あと、7台あるエレベーターの扉にクマが1匹ずつ描かれているのですが、そのうち1匹だけ眠っているなど、細かなところでコミュニケーションが生まれるような工夫をしています。

アイディアがなかなか出ないとき、実施していることはありますか?

インプットの幅を広げることです。コロプラでもよく「アウトプットをするにはその3倍のインプットが必要」と言われるのですが、そのことはいつも心がけています。

ほかにもデザイナーとしてのこだわりがあったら教えてください。

常に、非常に多くのユーザーさまに遊んでいただいているんだということを意識しながらデザインをしていきます。そして、たとえば「そのうちのせめて半分くらいの方はヘルプを使わずにゲームが楽しめるようにしたい」とか、「何割くらいの方は目を止めてくれる『お知らせ』を作ろう」とか、そういうことを考えますね。

なるほど。では最後に、今後の目標をお話しいただけますか。

今だから言えることですが、僕が経理の仕事をそのまま続けていたら、たぶん悩み続けていたと思います。そして今は、コロプラに入るまでは一生無理だろうと思っていたこと、自分にはできないだろうと思っていた小さな夢が一個ずつ叶っている状態なんです。だから今後の目標は、現状の仕事を一生懸命やりながらまた夢中になって追いかけられる、次の大きな目標を見つけることですね。

ブラジルで育まれた独特の感性が、コロプラで花開いた! 文化系男子として肩身の狭い青春時代を送り、経理の仕事への違和感からデザインの道へ入ったアッキーさんのお話を聞くと、そんな喜びが伝わってきました。ゲームのUIデザインはもちろんのこと、フィールドを超えて会社の「顔」となるデザインをし続ける彼の活躍に、今後も期待です!

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